だいぶ前から断捨離がブームになっていますよね。昭和44年生まれで,親や周りの大人から,何かあれば「もったいない,もったいない」と言われ続けていたので,昔から物持ちでなかなか物が捨てられない性分です。

結婚して12年を過ぎましたが,うちはとにかく物が多い。自分も家内も,比較的広めの戸建てで大きくなったというのもあって,物を置く場所に困らなかったので,何でも大事に置いておく癖が抜けないです。

何度か転居した際も,引越業者が来る度に「(荷物が)多いな…」とつぶやくのを目撃したし,知り合いが遊びに来ると,「なんでこんなに物があるの?」とよく聞かれます。


どこかで見かけたのですが,物がいっぱいだと新しい物が入ってこない。それは物心両面でそうで,下世話なことでいえば,お金も入って来ないよう,と。

たしかにそうやなぁ,ということで,断捨離やミニマリズムに関する本を読んでみたりしました。Amazonで検索すれば色んな本があるので,そこは気に入ったものを読めばいいと思います。

ずぼらでめんどくさがりの私の場合,あれこれルールを作ってもどうせ守らなくなるのは明らかなので,どこかで見かけたこのルール1点だけを考えるようにしています。

【わたしの断捨離ゴールデンルール】
もし,今またこれ(手許に長らく置いてある物)を買うとしたら,同じ金額を出してわざわざ買うかどうか。

これが自分にはすごく分かりやすいというか,頭だけではなくて体にもスッと入ってくる考え方で,またこれ買うかなぁ?と思ったら,使ってないものは大抵もう買わへんな,となりますね。

お金を出して買ったものについては,このルールで対象物を見るといいんじゃないかな,と思います。

そもそもですが,普段使わずに直してる(いわゆる「しまってる」を大阪弁で言うとこうなります。)物って,その存在を忘れてしまっていて,現象としてはないのと同じですよね。認識,認知の枠外の物って不存在ですよね,自分の中では。

なので,たまたま見つけて,そういえばこんなのがあったな,というのは,それまでなくても困らなかったものなので,そこで先ほどのゴールデンルールを適用すれば,大抵,もう買わへんよな,わざわざ,ということになると思います。

さらにそもそもでいうと,そういうしまい込まれるものって,感覚的に自分の普段の生活に不要で,もっといえば自分に合わないから目の届かないところに追いやられているんですよね。

そういうものをたまたま見つけて,買ったときの自分にフッと戻って,せっかくお金出して買ったんだし,もったいないな,と思う,それだけの理由で,そのまままた置いておくのってそれこそもったいない話だと思うんですね。

それを捨てて,新たに自分に合うものを探せばいいし,仮にそれがないとしても,それを保管しておく場所を開放することで,心身ともにすっきりしますよね。

今後,物を捨てるかどうか迷われたときは,ぜひこのゴールデンルールを使ってみてください。

こう書くと,「待て,想い出のこもった物も捨てるのか? そもそもお金を出して買ったのではないいただき物や,自分で作ったものはどうするのだ?」というご指摘を受けるような気がします。

おっしゃる通りで,たしかにこういう金銭的な対価を払っていない物に,先ほどのゴールデンルールはそのまま適用できないですね。

結局のところ,その物に込められた思いをどう捉えるか,ということになると思います。

いただき物の場合は,その心遣いに対する感謝の気持ちが相手に伝わればいいと思うんですね。それ以上に,それを使い続けるかどうかはまた別だと思います。極端な話,自分にアレルギーがある食べ物をもらって,無理して食べるかと言われたら,食べないですよね。

それと同じ(程度の差はありますが。)ように考えていいように思います。別に合わないから,と処分してしまってもいいと思います。

ただ,その辺はバレないようにしないと。以前,後輩の結婚式に出て,引き出物に自分たちで作った小皿のセットをいただいたことをあるのですが,うちの家内がたまたまそれをヤフオクで見つけていました。分かる人には分かる,そういう展開はちょっと小っ恥ずかしいですよね。

自分で作ったものはどうでしょうか。あるいは,我が子が小さい頃に頑張って作った作品とか。

これは悩ましいところではありますが,やはりそこは無形の思いが重要であって,物そのものではないと思うので,たとえばその思いを日記か何かに控えるとか,その嬉しい気持ちを心に刻み込むとか,そういう風にしたらいいんじゃないかな,と思います。

そもそも,そういうもので,その思いがあっさり消えるようなものは思い入れも大したものではないので,なくなっても気にならないんじゃないかな,と思います。

むしろ,見る度に過去に戻ってその思いに浸るよりかは,そういう体験を積み重ねて至った今における自分の感覚や思いを大事にしたほうがいいように思います。

結局,人間が生きることができるのは,過去でも未来でもない,現在だけですからね。

どうしても気になるなら,写メを撮って置いておくのでもいいと思います。今なら簡単にデータで保存できますしね。

唯一,悩んでいるところが,子どもの作品です。

頑張って,お絵かき帳に描いていた意味不明の落書きは,写メに撮って処分したのですが,幼稚園で作った作品などは,未だに処分できずに物置にしまってあります。

家内は,そんなんもうええんちゃう? 自分たちのだってそんなの残ってないでしょ,と言っていて,たしかにその通りだとは思うのですが,やっぱり我が子がこんなことができるようになったんか,と思ったその時の気持ちのことを思うとなかなか思い切れないし,子どもたちが大きくなったときに小さい頃を振り返るきっかけになるよう置いておいたほうがいいんじゃないかな,とも思うし,そもそも処分するかどうかは子どもたちに任せたほうがいいんじゃないかな,と思ったりもして。

ここはまだ結論が出ていなくて,どうしよう,と本当に悩んでいます。

ただ,昔のことであれこれ悔やんだりする両親の子とは思えないほど,長女は過去に思い入れがない子で,それこそ幼稚園のときの友だちの名前はほとんど忘れているし,なんなら,今年の春に引越をして,年長の時に好きだった男の子と離れ離れになったと言って,毎晩,夢の中でその男の子と会えるかなぁ,なんて言ってたのが,ついこないだ聞いたら,名前忘れてましたしね。

誘導して聞いてみたら,「○○○○(男の子の姓名)でしょ!」と軽く切れ気味で思い出していました。

次女はどうなるかまだ分かりませんが,普段の様子からよく似たもんだと思うし,そう思うと,想い出の作品を全て処分しても,そんなことは微塵も気にしないような気がします。

結局のところ,我が子に対する思い入れ自体の断捨離はできないなぁ,ということで,それが親心なんだろうな,という気がします。
 

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