昨日の夕方,新幹線で東京入りし,両国で一晩過ごして,今日は午前中,とある会合に参加してきました。

 

午後から帰りの新幹線まで少し時間があったので,6年前の夏まで半年余り住んでいた杉並区の阿佐ヶ谷までぶらりと出向いて来ました。

 

平成21年12月に弁護士になって,その翌年の3月に最初の事務所の大阪支店に入ったのですが,その秋に事務所のボスが事務所を出るという事態になり,急遽四谷の本部事務所に異動となったのでした。

 

急な話でどこに住んだらいいのか,東京には全く地理感がなくて困ったのですが,嫁が子育てには杉並区がいいらしい,というのを調べて,じゃあ杉並区にしようか,ということで,不動産家を回って落ち着いた雰囲気の阿佐ヶ谷に引っ越すことになったのでした。

 

当時住んでいたのは阿佐ヶ谷四丁目というところで,JR阿佐ヶ谷駅からバスで5分ほど,歩いても15分くらいだったと思います。大阪の自宅には義父母がいたのでそのままにして,トイ・プードルのネルを大阪において,家内と1歳になったばかりの長女を連れて,住むことはないと思っていた東京に移ったのでした。

 

阿佐ヶ谷の駅は周りにイトーヨーカドーや西友があり,パールセンターやすずらん通り,松山商店街などお店がたくさんあったので,普段の生活には十分な環境でした。

 

東京都いえば,若い頃に新宿に来てそのあまりの人の多さにひっくり返りそうになった,その人の多さが印象として強いのですが,阿佐ヶ谷の辺りは東京23区のわりに落ち着いた雰囲気で,駅を南北に抜ける中杉通りの落ち着いた雰囲気もよく,東京には馴染めないなぁ,と思っていた大阪人の自分にとってとても住みやすい町でした。

 

平成22年の秋に引っ越して,翌年7月に当時の事務所を退職して大阪に引き揚げるまで,半年余りの阿佐ヶ谷での生活でした。

 

当時の自宅はマンションの4階と5階のメゾネットタイプで,5階はワンフロアで全方位が見渡せて,東の方では建設中のスカイツリーがちょっとずつ伸びていくのがよくわかったし,西の方では天気がいいと富士山がよく見えて,周りは背の高い建物もなく,とても見晴らしがよかったです。

 

中央線の終日混雑している状況には毎日げっそりしていましたが,駅について買い物をしたりして,バスに揺られたり,夕暮れの涼しい松山商店街の通りを歩いたりして帰宅するのは毎日の楽しみでした。

 

年が明けてしばらくした3月11日,あの東日本大震災に遭うわけですが,およそ地震に縁のない大阪人が阪神淡路大震災に続き,東日本大震災という未曾有の大地震に遭遇するとは,と思ったのを覚えています。

 

四谷の事務所で仕事中,突然船が揺れるような横揺れに襲われて,それが続いたので,これはちょっと具合が悪いな,と思い,とりあえず今日は各自帰宅しよう,ということにして,とりあえず新宿まで出てタクシーで帰ろう,と思ったのでした。

 

ところが,新宿に出た時点でもの凄い人の数で,タクシーはもちろんつかまらないし,そもそも道が渋滞していて車が全く動いていなかったので,東京の地理は全く分からないものの,とりあえず新宿から阿佐ヶ谷なら青梅街道を西に進めば着くはず,と思って歩き出したのでした。

 

その間,何度も家内に電話やメールを試みるものの全く繋がらず,これはまずいなぁ,と思っていたら,中野の辺りで大阪の母とメールでのやり取りができ,間に入ってもらって自宅に連絡を取ってもらって無事が確認できたので,ホッとして,青梅街道沿いのサイゼリヤに入ってとりあえず腹ごしらえをして,その時点で2時間以上歩いていましたが,さらに気合いを入れて,阿佐ヶ谷まで歩いたのでした。

 

すずらん通りに入ってとりあえず食べるものを確保しておこう,とお総菜屋さんに入って適当におかずを買って,そのまま歩いて自宅まで戻りました。家内も娘も無事でホッとしました。聞けば,地震の時,娘はおかあさんといっしょか何かを見ながら踊っていたそうで,地震には全く気づいてなかったそうです。大物やな,と思うとともに,本当に無事でよかった,と思ったのでした。

 

その日の夜の食事の様子を写真に撮ったのが残っていますが,それだけ見ると普段と変わらぬ様子で,あの時本当にあんなに大きな地震があったのかな,なんて思います。

 

地震の当日が金曜日で,しばらくJRも丸ノ内線も動かないという状況だったのですが,週明けからボチボチ復旧しだして,事務所に出ることにしました。女子トイレの壁が崩れていると聞いて,大変やったんやな,と思いました。そういえば,窓から見える隣のビルがはっきり分かるくらいに揺れてたもんなぁ。

 

その帰り,阿佐ヶ谷の西友に寄ると,食べ物やトイレットペーパーなどの日用品がごっそり陳列棚から消えていました。え?と思いつつ,とりあえずなんか買っとかんと,と思って,残っていたチーズをいくつか買って帰ったのを覚えています。ないよりかはマシやろ,と思ったのですが,こういう時,男はあまり役に立たんのかな,という気がしますね。

 

その後も,しばらく物資が不足して,スーパーで子供が手に取ろうとした物を大人が横から奪い取るなんて話も聞いて,世知辛いなぁ,と思うとともに,節電で真っ暗になった周りの様子を見て,都会の東京でこんな事態になってしまうのか,と思ったのを覚えています。

 

物資の不足や,入ってきたとしても放射能の汚染の危険があるとか,都心部でもあちこちの吹きだまりで汚染物質が溜まるなんて話を聞き及び,その是非はともかく,よりベターな選択肢として家族は大阪に戻そう,という結論になり,地震が起きて1週間後,家内と娘を連れて,大阪に送っていったのでした。

 

その後,7月に当時の事務所を退職するまでの4か月ほどを単身赴任で過ごしたのですが,何より家庭を大事にする蟹座の自分に取って,一人暮らしがこんなに寂しいものか,と痛感したのを覚えています。

 

結局,その後,長女が東京に戻ることはなく,家内がたまに様子を見に上京していましたが,7月には大阪に戻ることになったのでした。

 

それ以降,出張などで東京に行く機会は何度もあったのですが,阿佐ヶ谷まで出向く時間がなく,今回,6年ぶりに阿佐ヶ谷に寄ってくることになったのでした。

 

阿佐谷パールセンター

 

JR阿佐ヶ谷駅から南の方へ向かうところにある阿佐谷パールセンターです。ちょうどタイミングよく「日本一」の文字がauの電光掲示板に出ていますが,個人的にもこの商店街は日本一だと思います。

 

謎の張りぼて

 

今年の七夕のお祭りでは謎の張りぼてが飾ってありました。相変わらずぶっ飛んでるなぁ,と懐かしく思ったのでした。住んでいた当時は,たしかジャズフェスティバルみたいなのをやっていたと思います。

 

焼き鳥の稲毛屋

 

よくおかずに焼き鳥を買って帰った稲毛屋さんは健在でした。懐かしいな。ここの焼き鳥は本当においしいです。

 

しんかい

 

諏訪田のニッパータイプのよく切れる爪切りや,しんかいオリジナル?の黒い爪切りは今でも愛用しています。だいぶ経ちますが,未だに切れ味は変わらないですね。

 

他にも懐かしいお店があったのですが,なくなっているお店もたくさんありました。

 

長女のおもちゃをよく買って帰ったおもちゃ屋さんが見当たらなかったし,豆腐を買ったお店も見当たらず,衣料品を買ったお店も空き家になっていて,周りに鉢植えが置いてありました。

 

ミート屋というミートパスタ専門店があるのですが,それも発見できず。ネットで見る限り,まだやってはるみたいですが,日曜日で閉店だったかして見つけることができませんでした。ガラス戸の特徴のあるお店なので,見つけられないはずがないのになぁ,と思いつつ。

 

お総菜屋さんがあった辺り

 

パールセンターを抜けて,すずらん通りまでやってきました。たしかこの辺りに,地震の日にお総菜を買って帰ったお店があったと思うのですが,見つけられませんでした。こんな立派なマンションがあったかな,と思うので,もしかしたら建て替えで撤退されたのかもしれません。

 

青梅街道

 

青梅街道まで抜けてみました。この辺りはあの時と変わらないですね。向こうのほうから,反対側の歩道をてくてく歩いて帰ってきたのを今でも覚えています。

 

午後6時半くらいに自宅に辿り着いたので,たしか4時間は歩いたはずです。当日の夜中には電車も動き出した,と当時の事務局の方が言っていましたが,家族のことを思うとジッと待ってはいられなかったのでした。

 

西友阿佐ヶ谷店

 

もう一度歩いて阿佐ヶ谷の駅まで戻り,そこから北上することにしました。

 

懐かしの西友です。引っ越してきて,生活用品を買い揃えたり,普段の食材を買ったり,本当にお世話になりました。

 

西友の陳列

 

あの時,空っぽになっていた陳列も今は普通に商品が並んでいました。本当に空っぽだったのを今でもよく覚えています。

 

サワディー

 

西友の向かい側,駅の北側ロータリーの北側によく食事をしたアジアンキッチン,サワディーというタイ料理のお店があります。夫婦揃ってタイ料理が大好きなので,よく通いました。

 

この建物の地下にイトーヨーカドーがあって,そこもよくお世話になりました。

 

サワディーのメニュー

 

懐かしのサワディーのメニューです。写真を撮って嫁に送ったら,懐かしいなぁ,と言っていました。

 

翠海

 

同じフロアにある中華料理の翠海さんです。こちらも何度かお世話になりました。思えば,当時は色んな意味で余裕があってゆったりした生活を送っていたので,家族でちょいちょい食事に出たり,色々と楽しんでいたなぁ,と思います。

 

博多ラーメン 長浜や

 

ロータリーの北側を抜けていくと,博多ラーメン長浜やというお店があります。ここもよくお邪魔しました。当時はまだよく食べていたので,替え玉よくしたなぁ。

 

クリーニングニューN阿佐ヶ谷店

 

松山商店街を北に抜けていき,途中,よくお世話になった串焼きのお店や園芸店を動画で撮りながらてくてくと歩いて行き,自宅の近くにあったクリーニング屋さんまでやってきました。

 

受付のおばちゃんがご健在で,6年ぶりなのでドキドキしたのですが,大阪から引っ越してきた竹内です,と言うと,あぁ,引っ越してきてすぐ帰っちゃった人ね,またこっちに戻ってきたの,と覚えていてくださったのでした。

 

6年前に大阪に戻るときも,早く戻ってこれるといいわね,と言っていただき,泣きそうになったのですが,今回も,またこっちに戻って来れたらいいわね,と言われて泣きそうになったのでした。

 

うちの娘たちの写真も見ていただき,当時1歳だった長女も7歳になってだいぶ大きくなったし,当時はいなかった次女もいるので,大きくなったわね,かわいいわね,と言っていただきました。

 

それまでは,東京の人って愛想ないという印象だったのですが,阿佐ヶ谷,特にこの松山商店街のお店の人たちはざっくばらんにお話してくださる人が多かったので,本当に住みやすい町だなぁ,と思ったのを今でも覚えています。

 

あの震災さえなければ,もしかしたらまだここに住んでいたのかな,なんて思ったりします。東京に戻ることはまずないと思いますが,仮に戻れるとしたら,やっぱりまたこの阿佐ヶ谷に住みたいな,と思いますね。

 

ブーランジェリー コチュー

 

自宅の向かいにあったブーランジェリーコチューというパン屋さんはお休みでした。たしか日曜日がお休みだったはず。

 

土曜日になると,まだ歩き始めたばかりの娘を連れて,パンを買いに行ったのが懐かしいです。

 

たしか,長女と同じ年のお子さんがいるとかで,家内とお店の奥さんとで盛り上がっていたはずです。

 

お店の中には子供が遊ぶおもちゃがあり,娘がおもちゃで遊んでいる間に,おいしそうなパンをあれこれ見たり,1杯100円のおいしいコーヒーをいただいたりしたのを覚えています。

 

お好み焼き・たこ焼き おーきに

 

当時の自宅からすぐ近くにあるお好み焼き・たこ焼きの「おーきに」というベタな名前のお店も健在でした。

 

味から何から全部大阪から仕入れてます,というのが売りで,大阪から来た者としては試さずにはいられまい,と思って行ったのですが,おいしかったですよ。よくテイクアウトもして持って帰って食べたりしていました。

 

今も続いているということは評判なんだと思います。お近くの方,ぜひ食べに行ってみてくださいね。

 

カフェドゥワゾー

 

さらに南に戻ったところにある,カフェドゥワゾーさんです。

 

結局一度しか行きませんでしたが,比較的薄めのコーヒーが好きな自分にもすっきりといただけるおいしいコーヒーで,静かな時間が流れていて,一人でゆっくりとコーヒーを味わいたい時にぴったりだと思います。

 

1歳の娘を連れて行くのは申し訳ないな,と思って結局行けなかったのを思い出しました。

 

サイクルステーションワタナベ阿佐ヶ谷店

 

6段変速のアルミフレームの赤い軽い自転車を買ったワタナベさんも健在でした。

 

大阪から持ってきたママチャリのメンテナンスもしていただき,本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

中杉通り

 

中杉通りを北に向かって撮った写真です。

 

中杉通り

 

こちらは中杉通りを南に向かって撮った写真です。

 

うっそうとしているようでほどよい明るさの,何と言ったらいいのか分かりませんが,夏は日差しをカットして暑さを和らげてくれて,冬は雪が降るとちょっと北欧っぽくなる感じの独特の雰囲気が,他にはない感じで,ここはいつ来てもいいなぁ,と思うのでした。

 

バスに乗るより,てくてく歩く方が断然気持ちいいですね。

 

関東バス

 

ということで,今回は乗る機会がなかった関東バスですが,出勤の際や疲れた日の帰りはよくお世話になりました。

 

鉢の木 阿佐ヶ谷本店

 

パールセンターの入り口にある和菓子の鉢の木さんです。

 

大阪まで帰るのでどうしようか迷ったのですが,結局,よく買って帰った生麩まんじゅうをお土産に買って帰ることにしました。

 

鉢の木の生麩まんじゅう

 

たくさんあるので,人数分の5つと言ったところ,店頭にあった4つしかないんです,とのこと。

 

どういうこと?と思って聞いてみると,この写真の生麩まんじゅうは陳列用の作り物の食品サンプルだとのこと。

 

これはよくできてますね,言われなければ分からないです,と言うと,以前,アルバイトの子が間違ってこれを売ったことがあるんですよ,と言うてはりました。

 

4つしかなかったのは残念ですが,おまけで,缶詰のみかんを載せた寒天のようなのをおまけでつけてくれはりました。

 

あちこち回った時点で,新幹線の時間まで1時間くらいになったので,名残惜しかったのですが,阿佐ヶ谷を後にして,東京駅に戻ったのでした。

 

快速に乗って帰るつもりが,快速のホームに上がれず,そうか,土日は快速止まらんのやったわ,と思い出した次第。

 

6年前の生活が色々とよみがえってきて,本当に懐かしい場所に回れて充実した1日となりました。

 

 


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