最近よく思うのですが,自分の天命とか使命とか,そういうものって何なんだろうな,と。

20代の頃になりたいな,と思って目指した弁護士に足かけ20年,途中,様々なことがあり紆余曲折を経て夢を実現したのですが,弁護士になってまもなく8年,未だもって打ち込めるものを見つけられてないよなぁ,と思っているところです。

何を贅沢言うてる,弁護士になりたくてもなれない者だっているんだぞ,という話ですが,暮れから今に至るまで,個人的にヒーリングやコーチングを受ける中で,自分が自分らしくあることが大事,というところに行き着いたので,自分のやりがいを考えるときに他との比較は考えないようにしています。

ということで,では,自分の天命,使命,あるいはやりがいのあることとは何か,という話なんですが,なかなかこれというものが見つからないんですね。

そもそも弁護士を続けるかどうか,という点については,正直なところ分からないのですが,ヒーリングを受けた際にはその道で役目がある,自分が救いたいと思う人だけでなく,あらゆる人に一筋の光明を差すように手を差し伸べるべきだ,というような話があったので,果たして自分にそんな大役を果たすだけのものがあるのか,という気はしています。

迷いはあるんですね。果たして,今のこんな自分がどれほど人助けをすることができるのか,と。

ならば,他に役目があるんじゃないか,と。

そんなことを日々考えているのですが,じゃあ,弁護士以外の道でやりがいが見つけられるのか,と言われると,ん〜,となってしまうのでした。

好きなこと,趣味として,たとえば園芸がありますが,じゃあ,柳生真吾さんのように園芸の素晴らしさを多くの人に伝えられるか,というと,所詮趣味で楽しんでいるレベルなので,それは難しいなぁ,と思います。

コーチングの際に,自分の取り柄として相手の気持ちを察する能力が高い,という話が出て,たしかに状況に応じて相手の感じていることを慮ることができるのはあるな,とは思うのですが,先日Facebookで知り合った井川寛之さんご夫妻がされているような傾聴サービスができるかと言われたら,どうなんだろう,という気はします。

さて,じゃあ,自分は何ができるのか,自分のこの世での役割は,と考えてみるのですが,なかなかこれといって思いつかないんですね。

そんなとき,「頼まれ事は試され事」という記事を読んで,なるほど,と思ったのでした。

要するに,あれこれ人から頼まれることは,自分ができるからこその頼まれごとであって,それが試練として与えられ,それをクリアしていく中で,自ずと自分の役目,使命が見つかる,ということのようです。

たしかに,師は弟子の準備ができたときに現れる,とか,乗り越えられない壁は現れない,とか,本人の能力に見合った物事しか訪れない,というのはあると思います。

今までの人生を振り返ってみても,その乗り越えたという意味合いにもよりますが,結果的に後に繋がる結果が出ているな,という気はします。

仮に挫折と思えるようなことも,それがあったからこそ今の自分に繋がる,というふうに感じています。

往々にして,それは手に負えんな,めんどくさいな,という気持ちが生じがちですが,最近はその気持ちをグッと抑えて,とりあえずできると思ったらやってみるようにしています。まだまだの部分はありますけどね。

今年はそういう気持ちで過ごしてみて,その中で,これや,と思えるものが見つかればいいな,と思っているところです。


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