昨日に引き続き,今日も気になった記事を引用します。

同じ場所にいても人によって現象が違う」というタイトルの記事ですが,要するに,波動の点からすれば,その違いによって同じ場にいたとしても受け取る環境が違う,ということのようです。

思いは現実になる,というのは若い頃から折々に触れてきた考え方ですが,その思いの奥にある自分自身の波動というエネルギーによって現実が区区になる,というか,現実の捉え方が変わるということなんでしょうね。


そこが現実を引き寄せるという話で,人によって同じような状況にいても,いいように展開したり,思うようには展開しなかったり,という差が生じるんだと思います。

この現象の違いに引き続いて,引き寄せの法則の話になっているのですが,思いを実現できるかできないかの差は,結局のところ本人が願望としてそうなればいいな,と半信半疑で思っているか,それともそうなるに違いない,と確信を持っているかの違いによる,ということのようです。

あぁ,それはその通りかも知れんなぁ,と腑に落ちたのですが,そう思えたのにはわけがあって,自分自身もそのような経験をしたことがあるからです。

1つ目は大学受験のとき。

現役受験のときは,何となく自信がなくて,先ず最初に受けた共通1次試験で現代国語で大失敗し,200点満点で半分ちょっとの点数しか取れませんでした。試験を受けている最中もこれはまずいな,あかんかもな,とずっと思っていたのですが,その迷いが案の定,結果に表れたのかな,という気がします。

合計点でも8割を切る点数になってしまい,東大を目指していた者としては致命的な点数で,当時の担任から「おまえはその程度やと思ってた
。」と労いの言葉など微塵もない厳しいコメントをいただいたのを今でも覚えています(後から,それは発憤させるためのあえての表現だったのかな,と思うようになったのですが。)。

結局その年は,第1志望だった東大文1には届かないと端から諦めて東大文2に志望を変更して不合格,合格発表は泊まりがけで行ったのですが,その夜,宿で1人ずっと泣いていたのを覚えています。残念だったからではなく,自分の努力不足に対する不甲斐なさからでした。

国公立でもう1校,何となくで出願していた東京外大中国語学科は気力なく受験にそもそも行かず,滑り止め(と書くとおこがましい限りですが,当時は天狗になっていて勝手にそう言っていました)の早大政経政治は得意の世界史から急遽点数が取りやすいと言われていた数学に変更して大失敗,早大法学部は1点差で不合格,唯一,早大商学部は辛うじて合格になった,という,高校の文系クラスでは上位の成績でいた者としては,穴があったら入りたくなるくらいの大失態となりました。

自分より実力が下だと思っていた同級生が早大政経経済に合格し,一緒に早稲田に行こうや,と言われたときの屈辱は今でも忘れられません。

結局,早大商学部に入学手続をしたものの,その同級生に一生下に見られるのかと思うと耐えられず,そのまま帰阪して浪人生となったのでした。

浪人生のとき,しばらくして不思議なことが起きました。

勉強方法自体は特に変えていないし,予備校が繁華街を抜けたところにあって途中にゲームセンターがあり,誰にも勉強を強制されない環境で遊びたい放題だったのですが,それでもある時から共通一次模試が何の準備をしなくても85%とか90%とかの成績を取ることができるようになりました。

当時は勝手に,今までやってきたことが1年か2年熟成されて今ごろ力となって発揮されたんやろ,と思っていたのですが,今思えば,そうやってたまたまいい成績を取ったことで,その後に根拠のない確信を持って,いい成績が取れて当たり前と思えるようになったのが大きかったんだと思います。今回の記事を見て,そう思いました。

その後は,受験シーズンに突入するまで本当に気持ちのうえでは余裕があり,そういう状況で,たまたま京大法学部が試験制度の兼ね合いで英国小論文の数学なしの受験科目になるという情報が夏休みの前に入ってきて,数学が苦手だった自分としては,これで懸念材料が消えた,と大喜びをしたのを覚えています。あるいは,それも引き寄せの結果だったのかも知れません。

浪人生のときの共通1次は,模試のときにのど飴をなめておけば少々のことでは風邪を引かないというジンクスを手に入れていたので,それを持参しなめることで気分的には無敵状態だったし,生物を除いて他の科目で高得点を獲得し,前年に失敗した国語も160点と,全体の平均点が高かったのでさほどではなかったにせよ,マークシート型の国語の試験が苦手だった者としては上出来だったし,かなりの難度で100点満点中68点と撃沈した生物も,同じ理科科目の中で公平を欠く結果になったと加算処置がされて結果的に84点にかさ上げとなって,合計点が9割を超える上出来の結果となりました。

その後,2次試験では,苦手な数学があった阪大法学部の受験も数学で半分は解答できて合格でき,その後,英国小論文の京大法学部の受験で,小論文が法律学者の論文の日本語訳の内容という,まるでちんぷんかんぷんで時間不足で半分も書けなかったという,冷静に考えるとひどい内容だったのですが,共通一次の好結果もあり,勝手に前年の1次試験と2次試験の配点を参考に合格を確信していたのですが,蓋を開けてみると配点が変わっていて,結果的に合格最低点で合格する,という結果になりました。

滑り止めで受けた早大政経政治は得意の世界史でチャレンジして合格を勝ち取り,早大法学部も同様に合格することができました。もし私立大に行くことになったとしてもあの同級生と同じ大学は嫌やな,と思って慶大法学部法律学科を受験したのですが,内申書が絶対評価で満点をいただいていたのと,面接でたまたまイギリスの歴史を専門にされている面接官に好きなヨーロッパの国はイギリスと答えて,イギリスは厳密にはヨーロッパには属さないんだよね,と言われてその話で盛り上がり,結果的に合格することができました。

結果の部分だけを見ると単なる自慢話に見えて恐縮ですが,そこは割り引いて読んでいただくとして,大してやっていることが違わなかった現役受験のときと浪人受験のときとの結果の差を見ると,今回拝見した記事にある,確信と願望の差というのはあるんだな,と実感できた次第です。

受かるかどうか不安に思っていた現役時代と,これだけやったんだから落ちるはずがない,と思っていた浪人時代と,その差は歴然としたものだということです。

2つ目は司法試験受験のとき。

いわゆる旧司法試験というものを大学2年のときから目指して準備を始めたのですが,大学受験までと同じようなやり方で,先ず教科書などをしっかり勉強して知識を揃えてから問題に当たる,というやり方を続けていて,なかなか結果を出すことができませんでした。

最初の関門である短答式試験は結局受験6年目にして初めて合格しました。その後,2回続けて短答式試験をクリアして論文式試験を受験したものの,全くの準備不足で撃沈し,その後,家庭の事情で試験勉強どころではなくなり,そのまま惰性で7回目,8回目,9回目の短答式試験を受験して結果が出せず,そこで一度司法試験受験を断念しました。

今思えば,その頃からマーフィーの法則などを知って,易占を立てたりして,近々最終合格する,なんて想像してみたりしていたのですが,全く確信はなかったし,むしろ自分はなんて不遇なんだ,と不満だらけで,波動の点では全くダメな状態だったんだと思います。

その後は行政書士試験でもなかなか結果が出せず,本当にダメな時期を悶々と過ごしていました。

行政書士試験に4度目の挑戦で合格し(この時も,試験制度が変わって,苦手な小論文がなくなって,法律科目で勝負できるようになったので,ある意味,波動が変わっていい状態を引き寄せ始めたのかも知れません。),行政書士事務所を開業しようというころに家内と知り合って,その後,法科大学院(ロースクール制度)ができて,合格率が8割になると聞いて,それだったらさすがに自分でも受かるだろう,という気持ちになって,法科大学院進学と同時に,受かってからの結婚を待ってたら別れてしまうだろうから,今のうちに結婚しよう,と言ってくれた家内とともに,新たに司法試験受験の挑戦を始めたのでした。

ロースクールには入れたものの,受験に専念するために仕事はしていなかったので経済的にもなかなか大変だったし,意外と授業の準備も下手をすると徹夜になるくらい大変で,無理がたたって,2年目の最終学年のときには胆石がつまって大学院で倒れ,何とか自力で帰宅して家内に病院まで運ばれる,ということもありました。

ロースクール終了後も,5年の内,3回ある受験のチャンスの1年目と2年目が失敗に終わり,そもそも1年目から合格率が50%(しかも,それまで旧司法試験準備で猛勉強してきたハイレベルな受験生の中での50%です。)という難関で,さらに所帯持ちで生活もあるからアルバイトをしながら,という状況だったので,最後の年は模擬試験を受けるお金にも困るような状態で,勉強時間の確保自体が難しかったので,それまで20年近く続けてきたやり方をガラッと変えて,受験1年でも合格する者がいることからすれば,必要最低限のことさえ頭に入れて,後は現場思考で考えて対応すればなんとかなる,と考え,最後は極力無駄をそぎ落とすことに注力しました。

連続3回目の最後の司法試験受験は,あまりのプレッシャーで中日の休みを挟んで連続5日間の間,中日以外はほぼ一睡もできずに受験に臨むという最悪のコンディションだったし,試験が終わってから急激に血圧が上がってふらふらになる,という状態になったし,受験中も残り時間がわずかという段階になって問題の読み違いに気づいて真っ青になり,もうあかんか,と一瞬思ったものの,家内の顔を思い出し,指(腕?)がちぎれるか,と思うくらいの勢いで解答を書いたのを覚えています。

結果的に,最終の試験で合格を勝ち取ったのですが,その年がそれまでとどう違ったかというと,やはり後がなくて,今年最終合格しなければ,もう一生弁護士になるチャンスはめぐってこない,死ぬ気でやらないと,とお尻に火が付いた状態になったという点で違ったな,と思います。

大学受験も司法試験受験も,結局のところ,知識量や勉強量というより,確信や使命感によるところが大きく,特に司法試験合格は自分を信じてついてきてくれた家内を幸せにするために,という利他の気持ちが強かったのが結果に繋がった,と感じています。

手前味噌な内容で恐縮ですが,年末の大幅減俸の話に始まって今に至るまで,色々と自分を見直す時間を取って,これから自分がどうあるべきか,ということをあれこれ考えていて,その中で今回引用したような記事を目にして,自分が目指すべきこと(実はまだこれが天命だというものを見つけられずにいます。)を確信を持って知るには,やはり謙虚によい波動の心身の状態を保って,利他の精神で自分が周りに対して何ができるか,ということを考えながら生きていかないといけないんだな,と思っているところです。

まとまりがなくなってしまいましたが,確信という使命につながるものをしっかりと心に抱いて,この先の人生を充実したものにしていきたいと考えています。


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