偉大な人物が亡くなったときによく使われる表現ですが,自分がそんなことを言ったり書いたりする機会はないだろうなぁ,と思っていました。

 先月末,母方の祖父が亡くなりました。92歳,大往生だったと思います。昨年,母方の祖母が91歳で亡くなり,自分にとって大変お世話になった二人があの世に行ってしまいました。

 書けばいくらでも書くことがあるので控えようと思いますが,色んな意味で存在感のある,偉大な人物でした。


 戦後,復興が進む日本において,小さな町工場を業界1位の企業に育て上げ,その分野において社会に多大な貢献をした,という意味で本当に偉大な人物であった,と思います。

 小さいころは,怒ると本当に怖くて近くに寄るとピリピリとした緊張感にあふれていて,真っ先に思い起こすイメージは怖い人ですね。ただ,情にあふれる人で,後からのフォローはさりげなくされていた方だな,と今ではそう思います。

 想い出としては,当時の祖父母宅から歩いて生駒山まで向かい,山で虫を捕ったりしたことが思い起こされます。お酒の大好きな人で,本当に朝昼晩,毎食アルコール付きだったのですが,山の上で休憩しているときも,うまそうにお酒を飲んでいるのをよく覚えています。

 近鉄電車に乗って,近鉄百貨店まで連れて行ってもらったのもよく覚えています。小さいころは,近鉄電車の運転手になるのが夢でしたが,それもああやってしょっちゅう電車に乗せてもらっていたのがきっかけだったと思います。

 折々に物心両面で本当に支えてもらったなぁ,と思います。ただ,やっぱり怖い人やったな。

 仮通夜,通夜,告別式べとなぜか涙が全く出てこなかったのですが,悲しいというより,何かホッとした感じがあったからかもしれません。

 本葬が終わって自宅に戻り,取ってあった学生時代に祖父とやり取りした電話の録音テープを聞いてみて,司法試験受験準備を始めて最初の受験の夜,深夜1時ころに,さっきテレビで司法試験の話が出ていたからメモしたのでよく聞くように,と話をしてくれた様子が残っていて,色々と心配してくれていたんやなぁ,と思うと,自然と涙があふれてきました。

 なかなか合格できずに,一度は級試験の受験を断念して,その後ロースクールが始まって新司法試験でもなかなか結果ができず,厳しい言葉ももらいましたが,合格したときは本当に嬉しそうに喜んでくれて,時間はかかったけれどいい報告ができて本当によかったなぁ,と思いました。

 ちょうどその人生の半分くらいを生きてきて,まだまだこれからという感じで,祖父からすればまだまだ心配でしかたないとは思いますが,いずれはよう頑張ったな,と言ってもらえるよう,しっかり頑張ろうと思います。
 


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